【社長のひとりごと】No.79-「やさしさ」の現在

 現代日本語の「やさしい」を辞書で引くと、①親切だ・情け深い、②穏やかだ・おとなしい、③優美だ・上品だ、④容易だ・安易だといった意味に分けられます。①はもっともよく使われていて、英語のkindに当たります。②はgentle、③はgracefulにそれぞれ当たり、①~③は漢字では「優しい」となります。④は「易しい」が漢字で、英語では「easy」に当たります。「やさし(い)」という言葉は、万葉の時代からくりかえし使われてきていますが、その時代時代において微妙にニュアンスの違いがあるようです。例えば『万葉集』における「やさし」の初出は巻五の八九三に、

――世の中を憂(う)しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば (山上憶良)
  (世の中がつらいなあ、恥ずかしいなあ、と思うけれど、鳥でないから飛び立つことができない)

 とあり、「身もやせ細る」「恥ずかしい」という意味から始まった言葉とされます。それから時代が中古・中世に下ると、そのように恥ずかしそうに控えめにしていることが、「繊細で優美だ」とされるようになります。そうした言葉の含意には格別に敏感だった小説家・太宰治は河盛好蔵に宛てた手紙のなかで言っています。

――文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)(ハニカミ)といふルビを振る事、大賛成。私は優といふ字を考へます。これは優れるというふ字で(略)、優しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏に、憂ふると書いてゐます。人を憂へる、ひとの淋しさ侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、(略)そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(ハニカミ)(はにかみ)であります。(略)そんなところに「文化」の本質があると私は思ひます。

 アニメ版『鉄腕アトム』の主題歌の作詞者で、2024年に92歳で亡くなった詩人の谷川俊太郎は「やさしさの定義」を、太宰治と呼応するように記しています。

――やさしさは権力や財力や知力のような強い力の対極にあるものです。やさしさもひとつの力ですが、その力は微かで繊細でときに弱さと混同されて
しまうような力です。それは競争社会の中では、勝利よりむしろ敗北をもたらしかねません。しかし、もし私たちが何をもっとも大切に考えるか、その基準を少しでもずらしたとき、やさしさは人間をどんな力よりも強く生き生きとした生へと向かわせます。
 はたして「やさしさ」は、私たちの「文化の基準」となるのでしょうか。
(『やまと言葉の人類学』竹内整一 ぺりかん社)