<真実>は一つだけとはよく言われてきたことですが、改めて振り返ればひとつだけあるのは<事実>であって、いわゆる<真実>は人の数だけあるのかもしれません。まぁ考えてみれば、<真実>が一つだけの世界というのも、相当に居心地が悪いような気がします。歴史上でもたった一つの<真実>のためにおびただしい争いが繰り返され、いまも各地で続いていますが(それらが果たして<真実>をめぐってかどうかも不明ですが)、私たちにはどれだけ歴史が進んだとしても世界はちっとも改善していないのではないか、というのがどうやら<事実>のように映ります。
私たちの現場で例えれば「賃借人Aさんは、退室した部屋のリフォーム代金として、賃貸人Bさんから10万円を請求され、不動産業者M社に相談、交渉してもらった結果、5万円をBさんに支払った」という<事実>があったとします。
ここで、Aさんにとっての<真実>は「リフォーム代の10万円は高いと不満だったが、人と争うのが嫌で5万円を支払った」のかもしれませんし、「10万円はそれなりと思ったが、直接交渉するのが嫌だったのでM社の口利きで5万円となった」のかもしれません。あるいは「リフォーム代は安いと思ったがBさんとの間に長年の確執があり、それらを含めた対価として減額の交渉をした」のかもしれません。あるいは…、あるいは……。そしてオーナーであるBさんにも、この<事実>に対する<真実>がAさんと同じだけ、あるいはそれ以上あるかもしれません。もちろんM社にとっての<真実>も……、とそれぞれにいくつもの場面が想定できます。
私たちは自分(たち)にとっての<真実>以外にも、多くの<真実>があ(りう)ることを互いに認め合うことが、膠着した現状を打開していく起点になるような気がします。
