【社長のひとりごと】No.59-<日本人>の原像とは?

 始めて石垣島に行った時、たまたま見かけたゴキブリの大きさに驚いた記憶があります。解剖学者の養老孟司によると「昆虫の場合、同じグループでも南に行くほど大きいのが目立ちますが、じつは南に行くほど多様性があって、小さいのから大きい種類までいるのが事実です。当然、大きいほうが目立ちます(略)」ということになるそうです。つまり南に行くほど同じ面積に生物が生きられるキャパシティは大きいというわけで、「種類数はその土地の面積に対して等比的です。生態系が成立するためには、面積が十倍ぐらいにならないと種類数は倍にならない」そうですから、どうやら南に行くほど生き物は生きやすいということになりそうです。

 とはいえ「大陸の生き物のほうが基本的に強く、島の生きものは大陸の生き物と競争するとたいてい負けます。だから日本では移入種が強いでしょう。大陸の生き物は種類が多くて、異質なものがどんどん入ってくるから競争が激しい。島の場合、競争が生じにくいので安定して生きていけます」となりますから、多くの島でなりたっている私たち日本は外からもたらさられる物ごととの競争や競合という摩擦に大きな影響を受けてきたという長い歴史があります。

 土器や住居跡等でしかイメージ化できない日本の歴史の初めのころ(というか時間的には相当に長い期間)、従来言われてきたような歴史=土着していた「縄文人」を大挙渡来した「弥生人」が力により駆逐・征服したという歴史は、とうてい成り立たないのではないか、とされています。その一つの要因として、「もし縄文人が力ずくで制圧されていたら、日本語はもっと大陸の言語と近かったはずですよ。例えば日本語と韓国語にもっと共通点があるはずですが、実際にはほとんどない。恐らく縄文文化は言語も含めて、弥生人にうまく取り入れられたのでしょう」と遺伝学者の斎藤成也はいいます。また「北部九州、博多の近辺や佐賀の平坦部からは、渡来系の人骨が出るけれど、北西部の長崎などでは、逆に縄文系の人骨がよく出ます。DNAを取ればよりはっきりすると思いますが、北部九州においては、縄文と弥生の同居時代が長期間継続していたというのが、考古学や我々、歴史学者の認識です」と分子人類学者の篠田謙一はいいます。  (『磯田道史と日本史を語ろう』文春新書)

 私たち日本人は外的な要因による幾つもの転換期を越えてきましたが、対立ばかりではなく、したたかにその奇禍を凌ぎ骨身としてきた歴史に、たしかな自信を持つべきです。