【社長のひとりごと】No.56-「恋愛」の始まりはいつだったのか?

 私たちが普段使っている日本語が、現在のように変わってくるのは明治以降で、まだ150年あまりといえます。それまでの日本語に、大変な速度で欧米語が大量に流入しはじめて、その日本語訳をどうするかが大問題でした。「社会」や「個人」等々、それまでわが国にはなかった概念を持つ言葉を、新たに作り出すことがわが日本語に必至となりました。

 そうした語彙の中に「恋愛」も含まれています。辞書にいつ頃から載せられてきたのか見てみると、日本の辞書ではありませんが、幕末から明治初期によく使われていた「英華字典」には古くから「恋愛」と出ていたそうですが、動詞の「love」の訳語だったといいます。メドゥーストの『英華字典』(1847~48)にも、ロブシャイドの『英華字典』(1866~69)にも、やはり名詞の「love」としては「愛情、寵、仁」等の漢語が出てくるばかりです。

 私たちの日本語の辞書としては『和蘭字彙』(1855~58)に「寵愛又愛敬」「仁」と、『仏語明要』(1864)に「恋・愛・恋神」とあり、また『英和対訳袖珍辞書』(1862年)に「愛、恋、財宝」とあったそうです。そして、おそらく初めて日本語の辞書に「恋愛」が出てくるのが1887年版の『仏和辞林』だそうで、「恋愛。鍾愛。好愛。愛。愛セラル丶所ノ者」となっていました。

 日本語の文章に、名詞としての「恋愛」という訳語が実際に見られたのは1890年10月『女性雑誌』に掲載された翻訳小説の批評文の中に引用された「訳者がラーブ(恋愛)の情」(巌本善治)でした。続いて、わずか一か月後の同誌には「嗚呼(ああ)人の心霊と身体とに革命を行ふ恋愛よ」(「恋愛の哲学」愛山生)との熱烈な声明文が寄せられます。一方でかの徳富蘇峰が「恋愛」にうつつを抜かす世の風潮に対して「恋愛何物ぞ、男女交際何物ぞ、自由結婚何物ぞ」(『国民の友』1891.7)と大上段に糾弾すれば、すかさず翌月には巌本が「恋愛は神聖」(「非恋愛を非とす」)と反論します。「恋愛」論が世評にのぼり、まさに<恋愛>のごとくに丁々発止とその火花を散らしたのでした。

 開国から世界文明の荒波に曝された日本が大変貌を遂げつつあるさ中、わが「恋愛」は華々しくその姿を日本語の地平に現わしたのでした。 (『翻訳語成立事情』柳父章 岩波新書)