本を買う時、書き出し部分で決めることがけっこうあります。それは翻訳本でも同じで、人気の高い作品だと複数の翻訳者によってそれぞれが出版されていて、目移りしてしまうことがあります。同じ作品でも、どの本を選ぶかはその人の好みと言えそうです。
例えばまず、かのヘミングウェイの言わずと知れた『老人と海』からです。
「かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。」 (福田恒存訳 1953)
「漁師は老いていた。一人で小舟を操って、メキシコ湾流で漁をしていたが、すでに八十四日間、一匹も取れない日がつづいていた。」 (高見浩訳 2020)
次にボリス・ヴィアンの「20世紀でもっとも悲痛な恋愛小説」と呼ばれる作品です。
「コランはおしゃれの仕上げをおわるところだ。湯あがりにまとったゆったりした厚地タオルからは脚と上半身とがはみ出ている」 (『日々の泡』曾根元吉訳 1970)
「コランは身だしなみをととのえ終えるところだった。風呂から出ると、ふんわりしたタオル地に身を包み、足と胴体だけがはみだしていた」 (『うたかたの日々』伊東守男訳 1979)
「コランはおめかしを終えるところだった。風呂からあがってパイル地の大きめのタオルに身を包み、そこから両足と上半身だけがはみ出ている」 (『うたかたの日々』野崎歓訳 2011)
最後に、私も大好きなレイモンド・チャンドラーです。
「私がはじめてテリー・レノックスに会ったとき、彼は<ダンサーズ>のテラスの前のロールス・ロイス“シルヴァー・レイス”のなかで酔いつぶれていた。駐車場から車を出してきた駐車場係は、テリー・レノックスが左足を自分のものではないといったように車の外にぶらぶらさせているので、ドアを閉めることができなかった。」 (『長いお別れ』清水俊二訳 1958)
「テリー・レノックスとの最初の出会いは、<ダンサーズ>のテラスの外だった。ロールズロイス・シルバー・レイスの車中で、彼は酔いつぶれていた。駐車場の男は車を運んできたものの、テリー・レノックスの左脚が忘れ物みたいに外に垂れ下がっていたので、ドアをいつまでも押さえていなくてはならなかった。」 (『ロング・グッドバイ』村上春樹訳 2007)
「私が初めてテリー・レノックスに会ったのは<ダンサーズ>のテラスのまえでのことだ。彼はロールスロイス・シルヴァー・レイスに乗りかけたところだった。酔っており、車をそこまで運んできた駐車係がドアを開けたまま支えていた。テリーの左足がまだ外に出ていたのだ。その足がぶらぶらと頼りなく揺れていた。まるで主に置き去りにされた忘れもののように。」(「長い別れ」田口俊樹訳 2022)
翻訳者によっても、またその訳された時代背景によっても訳文に違いはあります(ほんとうは『老人と海』で揃えたかったのですが、他の訳書を持っていなかった…)が、といっていずれを選んだとしても面白い作品であることに間違いありませんから、後悔することがないこと請け合いです。さて、選ぶとすればどれを?
