私たちが普段使っている文章に出てくる「、」と「。」ですが、横書きが多くなった現代でも「,」や「.」は極めて少なく、ほとんど「、」と「。」が使用されています。ところで現在のように「、」と「。」が使われるようになったのは、明治時代の教育制度の始まりからだといいます。(『てんまる 日本語に革命をもたらした句読点』山口謡司 PHP新書)
その歴史を紐解くのは専門家に任せるとして、当時の日本語の書き言葉のあり様を実際の文章で見てみましょう。まずは政治家で言文一致運動の初期の担い手だった末松謙澄(1855~1920)が、官費留学していた英国から伊藤博文に宛てた手紙(1878)の一部です。
〇時局愈紛糾候に付閣下の御責任御煩慮も日一日と増大候事と被存候へは折角御自玉云々
と「、」も「。」もない文章です。これに対して自著『日本の面影』)(1906)では、
〇夏の日の涼しき午過ぎ、花の巴里の都ながらも熱閙(ねっとう)の衢(ちまた)を離れ云々
とあり、同じ人の文章で、前のものとの間には28年の隔たりがありますが、今でもそのまま読めそうです。次に文豪・夏目漱石の『坊っちゃん』(1906)からの引用文です。
〇親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る自分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かしたことがある。(略)新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は云々
と言文一致体の体現のような文章です。一方で、友人・西川一草亭への手紙(1914)です。
〇拝啓先達の朝書画帖が一冊届きました夫(それ)から晩方に綺麗な百合の花が届きました
ここには「、」も「。」も記されていませんが、そのわりには読みやすい文章で、同時代において漱石は、その表現力において一歩抜きん出ていたことが分かります。
最後に「大日本帝国憲法」(1889)と「日本国憲法」(1946)の前文の冒頭を並べてみます。
〇朕祖宗ノ遺列ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕か親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ云々
〇日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、(略)政府の行為によって再び戦争の惨禍がおこることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。云々
まさに現代日本語への階梯の原初と到達点を見るような気がします。とはいうものの、現在の絵文字やスタンプの混在文には(+_+)😲仰天してしまうかもしれません。
