このところ熊の出没が多発して凄惨な人的被害を生ずる事態がNEWSで取り上げられています。もともと野生の熊は臆病で人間嫌いですが、美味しい食べ物が容易に手に入るとなれば当然、人が住むエリアにも侵入してくることになるのは至極自然なことです。
野生動物の世界では何らかの<驚異>が自分の領域に侵入した場合は、一刻も早く遁走するか排除すべく対抗しますが、人間の社会ではそういうわけにもいきません。かつてあのゴジラやギャオスでさえ「希少生物」として何とか保護できないものかとした人間ですから、この地球上に生きとし生けるものはすべて、人が守るべきかけがえのない対象としてあるのでしょう。まるでその最終目標は<地球自然博物館>であるかのようです。
いまや<多様性>をベースに<共存>や<共生>が謳歌されています。けれども現実は<多様性>のなかで生き残ってきたのは歴史上わずか一握りであって、はたして私たちの<共存>や<共生>は、そうした自然の過酷さや残酷さを踏まえた上でのことなのでしょうか?なぜなら私たちがいう<多様性>は、人間中心の社会概念としてあるのであって、そうである限りじっさいには私たちと共存や共生できない<自然>を無視、あるいは排除することに繋がるのではないでしょうか。私たちの<多様性>は自然保護を標榜しながら、じつは多くの問題点が見過ごされているように思われて仕方がありません。
私たちは手つかずの<大自然>の映像をみて、生命のダイナミックな躍動や美しさに感動しますが、それはあくまでも映像を見ての世界です。私たち人間は人の手が加えられた<自然>になかで生きているわけで、人の手がまったく入らない本来の<自然>のなかにポツンと置かれたなら、私たちはそうそう生きていくことなどできないのです。
野生動物との生存領域ですが、これまで人間の都合でその領域を拡げるだけ拡げてきたことに対して、動物の側から「何をいまさら勝手なことを」とでも言っているようです。私たちは自然に対する畏怖を<境界域>として伝承し、一方知恵と武器を持つ人間は恐ろしいことを野生動物は身を以て学び、それを代々子供たちに伝えてきたはずですが、どうやら私たち人間はこれまで培ってきた<境界域>を自ら取り払いつつあるのでしょう。
ほんとうは私たちを取り巻く自然界は<共存>や<共生>で成り立っているのではなく、多種多様な生きたちのそれぞれが生きるために<並存>しているだけなのです。私たちがほんとうの意味での多様性を謳うのであれば、私たちは「ただただ並存しているだけなのだ」という現実に立ち返ることが肝要です。
