盆踊りで定番の「東京音頭」ですが、Wikipediaによると、最初は「丸の内音頭」として昭和7年(1932)に作られ、日比谷公園での盆踊り大会で披露されたものとのこと。関東大震災後、東京は7年7月に市町村合併で訳530万人の人口を擁する世界第2位の都市となります。有楽町商店街の旦那衆が景気づけとして、それまでなかった都会の盆踊りを企画し、ビクターに音頭の作成を依頼しました。作詞を西条八十、作曲を中山新平が手掛け、8月15日から5日間、日比谷公園での盆踊り大会でのお披露目となり、揃いの浴衣を着れば誰でも参加できて、18日にはラジオでの全国初披露となりました。
「丸の内音頭」の人気に乗じてビクターは全国的な展開を意図し、昭和8年7月に「東京音頭」と曲名を改めて発売しました。「東京音頭」は、東京の復興と経済振興の歌として全国に広まり、発売当時だけで売上枚数は120万枚に達したといいます。その後も盆踊りといえば「東京音頭」が会場を席巻し続け、その総売上枚数は正確には不明としながらも、昭和46年(1971)の段階で2000万枚以上とされています。
地域雑誌の通称「谷根千」の編集者で作家の森まゆみは「谷中おぼろ町」のなかで、
「明けて昭和八年てのは、まだ戦争がピンとは来てなかったが、きなくさい匂いは少しずつ漂ってた。日本が国際連盟を脱退した(略)。みんな何か妙な熱に浮かされてたような気がする。(略)/ 熱に浮かされたっていえば、夏にビクターが「東京音頭」を発売したんだ。(略)/ 発売になると、どういうわけか、あっちこっちで人が踊り出した。最初は芸者がお座敷で踊ったらしいが、じつはビクターが仕掛けたらしいや。上野公園なんかにビクターの宣伝カーが来て、スピーカーで曲を流すと、どこからともなく人が集まってくる。浴衣姿で踊り出す。(略)/ 東京中で踊ってた。(略)/ その踊りがだんだんと盛り上がって、いよいよあと一、二回で終わろうというころになるとなぜかバラバラと石が降る。そうだな、九時ごろか。九時にはお開きってのはその筋のお達しだったらしいよ。丸の内だの日比谷公園だのでも毎晩踊り騒ぐもんで、大内山の陛下の御寝を妨げる、というんでね。いまでも、町の盆踊りが九時でお開きなのは、その名残じゃないの。/ 石が降っても、踊り狂ってる連中は何が何だか分からない。石は三日か四日、続けて降った。これは、宇宙からの隕石に違いない、なんて知ったかぶりをいうのやら、(略)」
と、当時の「東京音頭」の原風景を描いています。 (『谷根千文学傑作選』中公文庫)
