【社長のひとりごと】No.48-飛び込んだのはナニガエル?

 以前、芭蕉翁の「古池や」の俳句については複数回にわたりアアだコウだと推論を繰り返し、今後はもう論ずることはないだろうとした記憶がありますが、今回「そうきたか」という問題提起があり、今一度、ここに書き記すことになりました。

 その問題提起とは「古池に飛びこんだのはなに蛙だったのか」ということです。

 そんなことを言ったって、歴史的に「蛙(かわず)」と読み込めば、それは清流をそのまま映しこんだかのような華麗で清涼感あふれる鳴き声の主、カジカガエルと決まっているじゃないの、となりますが、どうやら一説にはツチガエルだと言われているとか。ツチガエルはふだん陸上におり危険を察知すると水中に飛びこむという性質があるそうで、飛びこむと水底に隠れてしまうので、水音に気付いた時にはすでにその姿を見ることができません。あろうことか芭蕉の「蛙(かわず)」はカジカガエルではなく、ツチガエルだったというのでしょうか?「古池や 蛙飛びこむ 水の音」という中には、蛙の姿はなく詠まれているのは「水の音」だけで、芭蕉は「耳に聞こえた音を詠んだ」というわけです。そういわれてみると「古池」なんぞにカジカガエルが生息するわけがない、やはり芭蕉が取り上げた蛙はツチガエルだったのでしょうか?

 一方で、芭蕉がほんとうに書き記したかったのは「蛙」ではなく、そもそもが「水の音」ではなかったのではないか。大体、そのカエルが飛び込んだ音はおそらくかすかな音であって、そんな小さな音が届いてくるくらいに辺りは静寂であり、飛び込んだ音の後には何の音も聞こえることはなく静寂だけが続いている状態です。すなわち芭蕉が詠んだのは、しんと静まり返った「静けさ」だったのだと、つまりはツチガエルだったというのは諸説あるうちの一説ということに落ち着くようです、あまりオチになりませんが…。

 この他にも「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の声」という句ですが、この「蝉」はナニゼミか?という問いかけもありました。かの斎藤茂吉は、この「蝉」をアブラゼミだと断定しました。ところがその後、大論争を引き起こします。漱石門下の小宮豊隆は「季節が合わない」(句は元禄二年五月二七日に詠まれ、西暦では1689年7月13日となり、山形県ではまだアブラゼミが鳴かない)としてニイニイゼミとしました。茂吉は現地の調査を行ってそのことを確認し、自分の誤りを認めたうえで、この句の蝉はニイニイゼミだと自説を改めました。茂吉は優れて知識人でした。(『古池に飛びこんだのはなにガエル?稲垣栄洋 辰巳出版』)