【社長のひとりごと】No.46-<家族>の解体はどこまで進んだのか?

 比較文明論の泰斗で『文明の生態史観』や『知的生産の技術』等で知られる梅棹忠夫は、今から60年以上も前の雑誌に掲載した「女と文明」の中で<家族>の解体を論じています。

――現在進行しているのは、つぎのようなことだ。女もまた主権者であろうと努力している。完全な男女平等の思想は、けっきょく、ここまでゆきつくほかはない。具体的にいえば、女が主権者であるような家族の発生であり、じっさい、あらわれつつある。

 女房関白の時代がきつつあるのか。それでは、男のほうがこまってしまう。立場が逆転するだけで、男女の平等の理想はまたもうしなわれることになる。女の主権はしだいにつよくなるだろうが、男の主権もまた、確立したままのこるであろう。

 それではどうなるか。ひとつの台所に、ふたりの主婦がはいれなかった(嫁と姑:大鎌)ように、ひとつの家庭にふたりの主権者ははいることはできない。そのあらそいをさけようとするなら、人間は、もはやこのほこるべき伝統にかがやく一夫一妻的家族を解消するほかない。完全な男女同権へのつよい傾向は、必然的にわたしたちをそこへみちびいてゆくであろう。

 現代の傾向としては、世界じゅうが、一夫一妻的家族だけを目標にすすんでいる。すべてのモラルも、それをかためる方向にばかり強調されているようだが、それは見かけだけのこと。じっさいには、むしろそういう家族の解体の方向にわれわれはすすみつつある、ということだけは、いえるのではないだろうか。    (『婦人公論』1957年5月号)

 その後悪名高き(失礼:大鎌)「ウーマンリブ運動」や「蜂の一刺し」、ジュリアナ東京のお立ち台やバブル崩壊後のオヤジギャル、そして電車内等で化粧する女子の出現やらと、<家族>を飛び出した女性の社会的台頭はその時代の表象にもなってきました。

 今や80%以上の国民が支持している「夫婦別姓」ですが、確かに<家族の解体>に至る過程にあるのかもしれません。今更ながら梅棹の先見性には驚かされますが、ただそれが直接的に<家庭の解体>に直結するかというと、ちょっと違う土俵での議論になりそうな気もします。考えてみれば今の戸籍制度も近代の制度ですし、世界的にもごく少数派とのことですから、日本が本気で検討を深めていく時期にあることは間違いないのでしょう。