NHKの朝ドラ「あんぱん」に触発されたわけではないのですが、そのモデルとなったやなせたかしの『人生、90歳からおもしろい!』(新潮文庫)と、もう一方で映画化もされて話題となった佐藤愛子の『九十才。何がめでたい』(小学館文庫)を併せて読んでみました。このお二人にかかると70代なんてまだまだガキだな、とつくづく思いしらされました。
まずは佐藤愛子から。
- もう「進歩」はこのへんでいい。更に文明を進歩させる必要はない。進歩が必要だとしたら、それは人間の精神力である。
- 長い年月の間にやがて来るかもしれない失意の事態に対する「覚悟」である。
- 「人間というものはつくづく難儀に出来ているものなんですねえ」/そう嗟嘆するのみである。
- ものいわぬ 婆ァとなりて 春暮るる
- 人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが、九十歳を過ぎてよくわかりました。(*この本の解説で、瀬戸内寂聴は「私は九十二になった時に老衰ということを感じました」と記している――これまたすごい!!)
そして、やなせたかしの言葉から。
- 精神的には不老少年で未熟、青二才のまま加齢してしまった。
- ぼくは今、衰え盛りである。(略)でもこれは自然の摂理だから嘆いてみても仕方がない。
- 生きているのではなく生かしてもらっているのだ。
- 宇宙の片隅にYanase星とAnpanman星が生まれた。(実際に認可されている:大鎌註)
- 漫画家の長谷川町子さんは晩年になって病気になった時「もう切ったり張ったりはいたしません」と言って静かに死を迎えられた。(略)ぼくは凡人だからそうはいきません。
- 善意のつもりが一方に対して悪になる。
- しかしアイマイというのも悪くないかもしれないと思うこともある。
- 平和ボケも戦争の悲惨に比較すればよほどいい。正義の美名で虐殺が許されるはずがない。
- 箸嚙んで 老いをはにかむ 春の朝
- 人間の文化は進歩しているにみえて実は退歩しつつあるのではないか。
- しかしお金のある人が身銭を切って善行をする時、その人にもメリットがある方が正しいとぼくは思う。
「箸噛んで 老いをはにかむ 春の朝」と「ものいわぬ 婆ァとなりて 春暮るる」。お二人が詠んだ九十代の<春>でした。
それにしても、朝ドラのオープニングが久々に「イイ感じだなぁ」と見ています。
