武道家で思想家の内田樹によると「天下無敵」とは「一番強いから敵がいない」のではなく「天下に敵がいない」ということで、つまりは「全員を味方にしちゃう。それが武道の理想なん」だとか。内田からそれを直接聞いた解剖学者の養老孟司の話で、前半が内田、後半が養老の、言葉です。なるほど、世界の全員が味方で敵がいないということは、確かに「無敵」といえそうです。 (『「身体」を忘れた日本人』養老孟司、C・W・ニコル ヤマケイ出版)
古来戦記物において伝えられてきた四字熟語で、中国から「自分が、あるいは誰某が向かうところ敵なしで一番強い」という意味で「天下無敵」が伝わり、そのような文脈で使われてきたのではないでしょうか。
さて日本では太平洋戦争の敗戦後、憲法九条において「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳いあげています。「押し付け論」をはじめ様々な意見や見解、解釈に曝されてきた条文ですが、終戦直後の占領期における選択肢はそれほどなかったに違いありません。
その後の日本の「武力」ですが昭和25年(1950)には警察予備隊として発足し、早くも昭和29年7月(1954)には陸海空三軍の自衛隊として組織されます。そういえばその年の11月に封切られた傑作映画『ゴジラ』では大砲や戦車、戦闘機やフリゲート艦がゴジラを、まったく功を奏しませんが激しく攻撃します。「武力」としての自衛隊は最高指揮官の内閣総理大臣と隊務統括を指揮する防衛大臣による文民統制(シビリアン・コントロール)の下に管理される、としています。
私たちは、これまで「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という理念の基軸と、文民統制下での強大な武力を有する自衛隊の存在という基軸の、二つの永遠に交差することがない矛盾の双曲面を、できうる限り敬遠したまま過ごしてきました。一方で冷厳な現実として「戦争において軍隊は国を守るが、国民を守ることはできない」(司馬遼太郎)ということも歴史が教えています。
現在、自衛官は20万人を超え、防衛関係費(軍事費)も世界の上位にあります。武器を持つと武力を後ろ盾にしがちですが、強力な武器を持つがゆえに「敵ではなく味方にする」という発想がこれからの「天下無敵」の立ち位置なのかもしれません。
