【社長のひとりごと】No.33-J.D.サリンジャー断片

 文庫の新刊本にサリンジャー(1919~2010)の短編集(『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ……』金原瑞人訳 新潮文庫)があったので、つい買ってしまいました。サリンジャーといえば、高校生の時の読書課題本の一つに『ライ麦畑でつかまえて』が挙げられていて、読んだのは半世紀以上も前のことになります。

 その内容は記憶にありませんが、当時からすごく気になるフレーズがあって、おぼろにですが<煙草の灰も落ちていないのに、膝の上を払う>という仕草を文章にしたもので、けっこうな頻度で小説のあちこちに、まるで楽曲の効果音のように挿入されていました(そのような印象)。私はなぜかそれが気になっていて(気に入っていたわけではなく)、その後も、学生になってから、あるいは社会に出てからもしばらくは、煙草の灰がそこに落ちていようがいまいが、膝の上を払う仕草を繰り返していました。

 『ライ麦畑でつかまえて』は、村上春樹も『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として訳していて(2003年)、当然こちらは私の高校時代にはなかったのでWikipediaで調べてみると、私が読んだのは野崎孝訳(1964年)の本だったようです。

 さて、新刊の短編集を読んでいくと「若者たち」という作品にアレが出てきました。
ふたりはテラスにいくことにした。エドナは少しかがんで、八時からすわっていて膝に落ちた煙草の灰を払う振りをしたが、実際には灰は落ちていない。ジェイムソンは彼女のあとをついていきながら、(略)」(P.146)と、ほぼ印象どおりの言い回しで訳されていました。サリンジャーは、その場面の空気感を象徴するかのようなフレーズを、なぜ何度も繰り返し作品のなかに、しかもそこしかないような箇所にちりばめたのでしょうか?

 今回の短編には、その他気になった箇所があり「(略)ミス・オーヴァーマンにそう伝えてほしい。ぼくの文章はつまらないけど、それでも容赦なく徹底的にチェックしてって。そして、にこやかにこういってほしいんだ。ぼくは何よりも、自分の書き言葉と話し言葉の大きなギャップに死ぬほどうんざりしているって! 二種類の言葉を持っているということは、すごく気持ちが悪くて、不安なんだ」(「ハプワース16、1924」P.185)というもの。

 後でちょっと調べてみたいのは「花粉症で目をえぐりだして捨てたくなるような日にくるなんて」(「他人」P.121)とあって、1945年が初出なので、もうその頃には「花粉症」があったんですかねぇ。気になりますねぇ。どうやらまたしばらく、落ちてもいない煙草の灰を払う仕草をすることになるのでしょうか?