世田谷区との共催で実施している区民を対象とした「住まいセミナー」で、「相続」がテーマのときに「世の中に<絶対>ということはそうそうありませんが、人間早いか遅いかは別にして、儚くなるのは誰も避けることができません」と挨拶することにしています。すべからく<個人>に訪れるそれぞれの<死>は、どのように足掻いても避けることはできません。
さて巷間には人生観に絡めての「宿命論」と「因果論」というものがあり、それぞれの論者は次のように主張します。
宿命論者=あなたの未来は決まっていて、もし不慮の事故で死ぬと決まっていれば、いくら防御策をしても死ぬ。もし死なないと決まっているなら、何もしなくても死なない。
因果論者=あなたの未来は万が一の事故に対して、もし防御策をとっていれば死なないし、もし何もしないならば死ぬ。
これら二つの論は、はたして対立しているのか、単にもの事の裏と表をそれぞれ言い表しているに過ぎないのではないのか、それともそのまま生命保険の広告の材料にでも使えそうで、考えれば考えるほど手足を搦め取られるようなもどかしさを覚えます。あるいは、ああでもないこうでもないと一周して、結局は同じことを言っているだけじゃないのかと。
精神科医の宮地尚子によれば、二つの論は「トラウマをあつかう場面や、広く医療現場全般において、よく使われていることに気づく。事故や重病に見舞われることに理由はあり、同時に理由はない。回復するかどうかは努力次第であり、また運次第でもある」として、「過去を受け入れ、同時に未来への希望を紡ぎつづけるには、おそらくほどほどの無力感=宿命論と、ほどほどの万能感=因果論を抱え込むことが必要なのだ」といいます。
私たちが日々をより生きやすく過ごしていくには「両方を共存させ、納得しやすいほう、生きていくのが楽になるほうを、そのときどきで都合よく使いわけることが重要」だということです。つまりは歴史的に繰り返されている「宿命論」も「因果論」ですが、考えてみれば私たちの身過ぎ世過ぎの処方箋といえるかもしれません。とはいうものの、人間はどうも自分に都合よく考えてしまうもので……。 (『傷を愛せるか』宮地尚子 ちくま文庫)
