永田町の駅の構内にある改造社書店に立ち寄ったところ金田一春彦の文庫がありました。学生時代に講義を受けたこともあり(その後は何故か敬遠してあまり読んでこなかった)、懐かしいなと手に取りました。見ると原本は2001年に新書で出された(金田一翁がご存命のころの)もので、その後平成28年に文庫化されたものでした。
さて以前にも触れた(と思う)野口雨情作詞の童謡『七つの子』の、例の「♪可愛い七つの子があるからよ」の「七つの子」について、金田一翁が触れていました。歴史的に争点となっている「七羽の子」という説と「七つになる子」という説で、一説にかつての記念切手にはしっかり七羽の子どものカラスが描かれていたし、おまけにカラスの七歳はすっかり大人というかご老体の域じゃないか、ということから「七羽」だといいます。一方で、カラスは一度に七個も卵は産まない、という実に現実的な指摘があります。
そこで日本語の専門家の金田一翁は、次のように言います。
――「可愛い七つの子があるからよ」という詩を言葉の面から考えると、卵ならばともかく、生きている雛の数を一つ二つと数えることはないから、「七つ」は七歳を意味するはずである。これに対して、いや、「七羽の子」とするのが本来は正しいのだが、子供の歌として作られたのだから「七つ」という幼子にもわかる言葉にしたんだ、という見方も確かにできるであろう。しかし、もしそうだとすると、今度は言葉の順序がおかしくなってしまう。「七つ」という数を表すことばと「可愛い」という性質を表す言葉があるとすると、数を表す言葉を先に置くのが不通である。したがって、もし七羽の子供がいたのならば、「七つの可愛い子があるからよ」とするか、「可愛い子が七ついるからよ」となるはずである。(略)
さて次に、(略)この詩は親と子の会話になっている。おそらく若いお母さんであろう、そのお母さんに子供が「カラスは(略)何て鳴いているの」と聞く。お母さんがそれに答えて、「お前と七歳の子がいるからよ。かわいい子ね、と鳴いているのよ」というような会話が想像される。(略)私が七歳の子供説を支持する最も大きな理由は、ここにある。 (『ホンモノの日本語』金田一春彦 角川文庫)
言語学者であり、また文学者もあった金田一翁を彷彿とさせる論だと思います。
