【社長のひとりごと】No.14-<想定>における射程について

 

 元日の能登半島地震から、ひと月が経過しました。未だその全容把握には至りませんが、過去の東日本大震災での津波被災に際して、福島第二原発事故における<想定外>発言と対極にあったのが、歴史の教訓を生かしてその被害を最小限に留めた地域でした。過去の大津波を現代に伝えるための石碑は、東北三県では300基程度あったそうです。

 東電の<想定外>についてはその以前から、専門家からの平安時代におきた大津波クラスへの警鐘があったにも拘らず、「1000年に一回程度」のことと片付けていたということでした。1000年に一度の確率を<想定外>とするのは如何なものか、という論点もありますが、同様のことで思い出すのは、バブル期のころのことです。当時、大きな河川の水害対策としてスーパー堤防の必要性が提唱されたのに対して反対論が展開されたのですが、その根拠としては氾濫の水準に想定した「400年に一度のことを議論してもしょうがない」というものでした。

 その頃の社会の物ごとの考え方として、400年にしろ、1000年にしろ、起きるのだから対応策を立てておくべきだという立場からは、まったくの対極にあったというわけです。ここ数年に繰り返し発生している河川等の大反乱や山津波は、当時の考え方の大勢がいかに打算的だったか、まるで私たちの地球が自分たちの歴史の教訓を活かしきれていない現代文明を嘲笑っているかのようです。

 ところで、歴史の教訓は実際に起こった出来事に因っていますが、膨大なデータ処理が可能となった現代では、過去の事実による想定だけでなく、自然環境の変化を要因とした<可能性における想定>も手にすることが可能です。つまり、私たちは「1000年」とかの時間的な射程の距離だけでなく、自然環境という空間的な射程もその視野に入れることができるようになりました。

 近年の自然災害では「100年」とか「50年に一度」、「この土地で生まれ育って初めて」等々の言葉が聞かれます。これまでに疲弊が進んだ自然の耐力という問題もあるでしょうが、今や私たちは過去の史実のみを踏まえて想定される備えだけでは、この後も必ずや発生するであろう<大災害>には、より十全な対応ができないのかもしれません。