【社長のひとりごと】No.1- 夏の定番といえば「かき氷」

 「氷山の一角」といって、見えているより余程大きな氷が水面下にあることを、つまり露見した一部の事実からはその背後に巨大な実態が隠れていることをいいます。とはいえ氷は確かに浮かんでいるわけで、海水だからこそ水上に見える「氷山の一角」となります。

これが真水だと水面からは突出してないようで、といって水の中ほどにあるのではなく、確かに水面に浮いています。チコちゃんの番組だと「なんで? なんで浮くの?」となるのでしょう。私たちは水を凍らせる時、容器一杯まで入れるのではなく、水の量をすこし少なくします。0℃で水と氷の体積を比べると氷のほうが一割多くなり、水の状態で容器を一杯にして凍らせると容器が壊れてしまうからで、要は同じ体積だと氷のほうが少し軽い。

 では、なぜ氷は水より堆積が大きいのでしょうか。水が氷るというのは結晶化するわけで、その結晶は規則正しく並び、多くの隙間ができるということです。その隙間の多さから体積が増えて密度が小さくなり、その比重は0.9168と軽くなります。これらのことから体積の多い氷のほうが軽くなって水に浮くわけです。

 さて平安中期の一条天皇の時代、中宮定子(ていし)に仕え、宮仕えしていた清少納言(966頃~1025頃)の『枕草子』にはかき氷が、けっこう早い段に出てきます。

 第三十九段=あて(雅やかで上品)なるもの。……削り氷にあまずら(ツタの樹液を煮詰め、一見蜂蜜に似た黄金色の甘味料)入れて、あたらしきかなまり(金属製のお椀)に入れたる……。

 今から千年ほども昔のこと、その頃「削り氷(かき氷)」を優雅に賞味できたのは天皇とその一族や宮廷貴族、それも最上級の一部の貴族たちだけだったでしょう。清少納言は、天皇の覚えめでたい定子のおこぼれにあずかったのかもしれません。

 わが国で一般的に氷を食べるようになったのは、明治の中期だということです。文明開化で世界に門戸を開けても、明治初期には氷の貯蔵や運搬等、ましてや製造技術も無かったので、年間2000トンの天然氷をアメリカから輸入していたとのことです。

 ところで最近は「かき氷」というよりも完全にスイーツ化して、これまでのかき氷とはまったく別ものに進化した感があります。清少納言が現代のかき氷を食べたなら、果たしてどういう感想を持ったでしょうか。      (『季語うんちく事典』角川ソフィア文庫)